豊田市民にとって最初に思いつく神社といえば「挙母神社」ではないでしょうか。豊田市の中心街にあり、敷地も広くて、なにより豊田市の旧市名である挙母という名の神社です。
そんな挙母神社ですが、敷地内に狛犬が4組もいることに気づきました。せっかくなので1組ずつ見比べていきます。
【①本殿前】
まずは本殿の前にいる1組。クルクルのタテガミに金色の目。ちょっと頭が大きくて、あまり肉感のない体で座り方も可愛らしいのですが、目が横に付いているせいかヤギのようにも爬虫類のようにも見えます。
雨風の影響か石の角が取れているように見えます。口に塗られた赤色もかなり薄くなっているので、時間が経っているのがわかります。台座を見ると大正11年に作られたとあるので、約100年間神社にいることになります。挙母神社の中で一番古い狛犬です。
【②子守(こだき)狛犬】
2組目は拝殿の南側にいる子守(こだき)狛犬。こちらはクルクルというよりグルングルンのタテガミを持つ2体ならぬ4体。大きな狛犬の足元に小さな狛犬がいます。小さくても凛々しい顔をしています。口や目の周りの赤色が鮮やかに見えます。
彫りが細かく、くっきりして私たちが想像する狛犬らしい狛犬です。
この狛犬だけ説明書きの「いわれ」がありました。挙母神社は以前「子守大明神」と言われて、子どもを守る神様といわれていたとあります。子どもの狛犬と共に神社を守る狛犬なのでしょう。昭和61年に建てられているので、挙母神社の中で最も新しい狛犬です。
【③本殿西側】
3組目は本殿の左隣にある鳥居のすぐ後ろ、少し小柄な狛犬です。こちらも左右ともにグルングルンのゴージャスなタテガミを持つ狛犬です。なぜか私には少女漫画に出てくるキャラクターのように見えます。耳が横に張り出しているのがツインテールに見えて、なんだかキュートです。
台座には昭和47年とあるので50年くらい前に作られたことになります。
【④南側出入口】
4組目は南側出入口の大きな鳥居の下にあります。
本殿前、拝殿前の狛犬たちに比べると圧倒的に小顔です。タテガミはどちらかといえばストレート。前足は長くて太くてシュッとして、モデル体型です。さらに胸を張った姿が神社を守っているように見えます。
こちらは昭和21年に建てられました。太平洋戦争が終わってすぐの建立なので、平和への想いが込められているような感じがします。
向かって左側の狛犬の頭をよく見ると角があります。本殿前、拝殿前の狛犬たちにはなかった点です。
狛犬について少し調べてみました。
本来狛犬は向かって右側を「獅子」、左側を「狛犬」といい、ふたつは別の霊獣だそうです。
獅子はタテガミがクルクルとウェーブしており、口を開けています。
狛犬はストレートのタテガミに口を閉じて、頭のてっぺんに1本の角を持っていました。
近代では狛犬も獅子と同じスタイルで造られることが多いそうです。角はなくなり、タテガミはウェーブしたものになり、違いは口を開けているか否かだけです。シンメトリーが美しく映るからでしょうか。
そしてなぜか獅子という言葉が消えていき、どちらの霊獣も狛犬と呼ぶのが通常です。
そうはいっても狛犬のスタイルは様々で「絶対こうあるべき」というカタチはないのが面白いところです。
今回挙母神社で見つけた狛犬は以上です。
ところで【②子守(こだき)狛犬】と【③本殿西側】の狛犬たちは似ていると思いませんか?
既製品のようにまったく同じではないですが、同じ人あるいは同じ流派の人が造ったように感じます。
狛犬には「岡崎型」と呼ばれる形があるそうです。
岡崎型とは大正時代以降に隣市岡崎市の石工によって造られたもので、派手な巻き毛や口の中が赤く塗られているなどの特徴があるそうで、全国に多く置かれているそうです。
年代と特徴を見て【②子守(こだき)狛犬】と【③本殿西側】は岡崎型の狛犬だと思われます。
さらにもう少し調べてみると「岡崎現代型」と「岡崎古代型」がというのもがあることがわかりました。
「岡崎現代型」はいわゆる【②子守(こだき)狛犬】と【③本殿西側】です。
「岡崎古代型」は胴体が細身、胸を張っている、肋が表現されている、胸に鈴があるなどが特徴です。【④南側出入口】に特徴が当てはまります。さらに台座を見たら岡崎市とありましたので間違いないでしょう。
今回挙母神社の狛犬たちを見てそれぞれ個性的であり、かわいらしく、見比べてみる作業はとても楽しかったです。狛犬って本当は奥が深い造形物なのかもしれません。
美術・芸術は詳しくないけど、人が作り上げた『何か』を見るのが好きです。よくまちをウロウロしています。名古屋グランパスと豊田スタジアムを愛するフツーの主婦。フットワークの軽さと重さを兼ね備える極端なタイプ。