数年前、陣中町にあった閉鎖前の郷土資料館へ遊びに行ったときのことでした。
尾張地方出身の夫が資料を見ながら、
「へぇ、野見町って『ノミノスクネ』からきているのか」
と、のたまいました。
聞き慣れない単語に私の頭の中はハテナでいっぱいになったので
「ノミノスクネってなぁに?」と素直に質問。続いて浮かんだ(それっておいしいの?)という言葉を飲み込みました。
「野見宿禰(のみのすくね)はね日本書紀かなんかに出てくる、相撲の祖と言われる人だよ」と、ざっくり教えてもらいましたが、相撲と豊田市の共通点が思い浮かびません。
野見町には野見宿禰を祭った神社があるようですし、何かわかるかもしれないので、今回は「野見神社」に行ってみることにしました。
野見神社は野見山の山頂にあるようです。と、言っても矢作川沿いなので、そこまで高い山でもないだろうと自転車で行ってみました。
国道301号線から野見小学校を南に曲がり、県道細川豊田線を進みます。
右側に矢作川が見えてきます。左は青々とした森。合間合間に住宅もあります。しばらくすると大きな案内看板が出てきました。
参道は舗装こそされていますが、車が1台通れるくらいの細い道です。
すごい上り坂!おまけにかなり曲がりくねっています!これは山!
たちはだかるとはこのことかと思わざるをえない坂道。写真では伝わらないのが悔しい!
自転車で来たことを大後悔!
この坂を自転車で上るのはぜぇったい無理!かといって、どこかに置いて行くこともできず、自転車から降りて引いて上がりました。それでも重たい。自転車重たい。(そもそも自転車で来る人いるんだろうか?)
すぐに息が上がり、汗が垂れてきます。周りを見る余裕は全くありません。たった500メートル程度の道なのに、ものすごく長く感じました。
なんとか山頂にたどり着くと、車が10台くらい停められる駐車場がありました。(やっぱり車で来るべき所だったかぁ)
自転車を停めて、「野見神社」の石柱がある細い道に入っていくと、すぐに開けた場所に出ました。
緑の山々と豊田のまちが一面に見下ろせます。近くのオフィスビルから奥には高速道路、岡崎のまちまで見えます。
高いところまで来たんだと実感。ここまで上がってきた疲れが一気に吹っ飛びました。
振り返ると立派な神社が建っています。大きい!
向かって右手の狛犬と目が合っている気がします。なんとなく狛犬に「よく来たな」とも「お前は何者だ?」とも言われているようです。この道と狛犬の配置は計算されているかのようです。
簡単にお参りを済ませ、石に書かれた由緒沿革を確認します。
野見宿禰は古墳時代の出雲出身の力自慢で、垂仁(すいにん)天皇に召されて大和国の当麻蹴速(たいまのけはや)と対決したことが相撲の始まりと言われているそうです。
土師(はじ)氏の祖とも言われ、それまで行われていた殉死の風習を埴輪を用いることで禁止したそうです。(由緒沿革には土偶と書いてハニワとルビがふられています)
土師氏とは?歴史の授業で土器を作る士族と習ったような気がします。
調べてみると、土木系の技術を持っていたり、古墳の造営や葬送儀礼に関わっていたとありました。
なんとなく相撲よりも土師氏とのつながりの方がこの地域との関係はあるような気がしてきました。
市内にも古墳や古い遺跡がいくつかあることを思うと、当時一大イベントであっただろう土木工事が「無事執り行われますように」と、昔の人々はこの場所で願ったのではないでしょうか。
しかし!相撲の存在を忘れてはいけませんよと言われているかのように、玉垣の瓦の上、両端に可愛らしい力士像を発見!まるで妖精のようです。
野見神社に来た際はこの力士像がこっそりいるのでぜひ探してほしいです。
野見山頂は日常から切り離された空間のようでした。野見宿禰や土師氏の功績に思いをはせる野見神社でした。
帰りの坂道も自転車に乗ることなく、ブレーキをかけつつ、ゆっくり引きながら下りました。安全第一!
美術・芸術は詳しくないけど、人が作り上げた『何か』を見るのが好きです。よくまちをウロウロしています。名古屋グランパスと豊田スタジアムを愛するフツーの主婦。フットワークの軽さと重さを兼ね備える極端なタイプ。