今回のインタビューは、ハラプロジェクトの原智彦さんと藤井智子からの紹介で、豊田市を拠点に民謡を教えている二代目 西守芳泉(にしもりほうせん)さんです。
7月に豊田市怒田沢町の農村舞台 寳榮座で、民謡とハラプロジェクトの舞踏を掛け合わせた「民謡舞踏」を披露。(詳しくはレポート「文化は山奥にあり。豊田の農村舞台」)
その中では豊田の民謡「挙母小唄(ころもこうた)」や「足助綾戸踊り(あすけあやどおどり)」も披露され、会場ではお囃子を口ずさむ人や、民謡に合わせて自然と身体が踊ってしまう人もいました。
何より目に焼き付いたのは、芳泉さんの笑顔で語りかけるように民謡を唄う姿でした。
芳泉さんは自宅兼稽古場である民謡教室で、唄、三味線、津軽三味線、銭太鼓を教えています。
また「芳泉会」の会主として、定期演奏会や各地の盆踊りやイベントなど様々な行事にも出演しています。
橋ノ下舎で行われている『民謡パラダイス』や、喜楽亭での『民謡を唄おう』など民謡教室も定期的に開催しており、老若男女問わず幅広い年齢層を対象に民謡を教えています。
今回は、芳泉さんが民謡を始めたきっかけや民謡の魅力についてお伺いしました。
-よろしくお願い致します。では、芳泉さんが民謡を始めたきっかけを教えてください。
高校の時はバレーボール部に入っていて、実はそれ以外趣味がなかったんです。
引退するときに「何かやらないと」と思っていた時に、新聞で「三味線はじめました」という記事をたまたま見つけたんです。何の知識もなかったんですが「いいなあ」と思って、教室を訪ねてみました。
すると教室の先生から「三味線を買わないとやれないよ」と言われて「いくらするんですか?」と聞いたら「7万から8万円」と言われて。高校生だったので、とてもそんなお金は持ってなかったので親に相談したんです。
当時、叔父が舞踊をやっていたので中古の三味線を探してもらって、その後「いい先生を紹介してあげる」と言って紹介してくれたのが初代の西守芳泉先生だったんです。
その後、先生のところに通い、高校を卒業してから内弟子に入ったのですが、先生が病気になってしまったこともあって二代目を継ぐことになりました。
元々は稽古場を借りてやってたんですが、家を建てることをきっかけに自宅兼稽古場を作りました。
-芳泉さんが習い始めた時、民謡や三味線を始める方は多かったのでしょうか?
今と違って私が高校を卒業した時、世間は民謡ブームだったんですよ。
当時の人気歌手がGパンで民謡を歌う時代。笑
先生の内弟子に入った時は、生徒の数も多くてすごく忙しかったです。
バブルのはじける前は、高価な三味線も飛ぶように売れていたのを思い出します。
それがバブルが崩壊したことで不景気になり、このわずか40年でどんどん民謡が世間から離れていき、今では地元の民謡も知らない人もいます。民謡教室も少なくなり、どこか敷居の高いイメージが今はあるそうです。
そういうのを取っ払って「民謡って面白い!」と思ってもらいたくて、それで橋の下世界音楽祭をきっかけに出会った永山愛樹さん(ながやまよしき 豊田出身のパンクバンド、TURTLE ISLANDのボーカル)に「民謡をワンコインで教えたいんだけど」と相談して、橋ノ下舎で『民謡パラダイス』を開催することになったんです。
ちなみに『民謡パラダイス』と名付けてくれたのも愛樹さん。「挙母小唄」の「〜パラダイス♪」という歌詞からとってるんですよ。
始めはお囃子しか唄うことしかできなかった子供が、成長するにつれてちゃんと歌詞も唄えるようになり今では何曲か民謡を唄えるようになりました。
『民謡パラダイス』とは別に、月に2回小学生を対象に三味線を教えています。
若い方が民謡に興味を持ってくれたり、子供が三味線を上手に弾けるようになる姿を見ていると、とても嬉しいですね。
今年は終了してしまいましたが、豊田産業文化センター内にある喜楽亭でも『民謡を唄おう』という教室を定期的に開催していました。こちらはご高齢の方が多かったですね。
コロナで自宅にいることが多くなって声を出す機会も少なくなってきてしまったので「声を出さないと鬱になっちゃうよ!」と言って、みんなで楽しく民謡を唄っていました。
-民謡を唄っていて、民謡のどういったところに魅力を感じますか?
民謡は全国にあって、唄えば唄うほど面白いんです。
最初は知らずに唄ってるんですけど、調べると「こういう意味なのかな」という発見があるんですよ。
挙母小唄でも「恋のルンペン(チャッコラサノサ) 挙母の町は(ナント熊野(ゆや)サン)」という歌詞があるのですが「ルンペン」は浮浪者とか泥棒という意味。「恋の泥棒」ということなんですね。
「熊野(ゆや)サン」は平宗盛に仕えた熊野御前のこと。豊田市土塚町に今でも「熊野が松」の跡地があるんですよ。
2番の歌詞「匂い桜に(チャッコラサノサ)」の「匂い桜」は挙母神社にあったりとか、その土地のストーリーが入ってるんです。
2019年に行われた芳泉会発表会。フィナーレで歌われた「挙母小唄」
-挙母小唄は「パラダイス」という歌詞があるので比較的最近の曲のような気もしますね。
昭和5年に野口雨情(のぐちうじょう)が作詞された曲です。(※昭和5年に作成、翌年に発表)
ちなみに作詞者がいるのが比較的新しい民謡で、誰が作ったかわからない口伝えの民謡は古いものです。
「伊勢音頭」という曲があるんですけど、唄い継がれていくうちに全国に派生して根付いていったものもあります。タイトルは違うけど歌詞や節回しが似ているんです。お伊勢参りに来た人から口伝で伝わって、それが変化して…そういうルーツを辿っていくのも面白いですよ。
貧しい地方の方では民謡が多く、お米が取れなくて厳しいとか、皮肉った曲もいっぱいあります。
直接的な言葉ではなく、言いたいことを自然に例えたりオブラートに包んでいるところに昔の人の表現の豊かさを感じますね。
-芳泉さんは教室で三味線、津軽三味線など和楽器も教えているそうですが、その中でも銭太鼓(ぜにだいこ)とはどういったものでしょうか?
銭太鼓というのは島根県で発祥した「安来節」で使われる和楽器で、回して振ったりして音を鳴らします。
筒の中に5円玉が12個入っていて一年の幸せを祈るという意味があるんですよ。
三味線は長さは一緒なんですけど、棹(さお)の太さが違うんです。
津軽三味線(太棹)は打楽器のように叩きながら弾くので迫力のある音が出るんですよ。
重さや糸の太さも違うので、それぞれ唄や場面によって使い分けています。
三味線のバチも象牙で作られているものやプラスチックや木で作られたバチなど様々な素材があるんですよ。
-今後の活動をおうかがいします。
『民謡パラダイス』は今後も定期的に開催していく予定です。
また、今年の12月には市民文化会館で芳泉会の発表会を予定しています。
ハラプロジェクトの原智彦さんやALKODO(永山さんのギターと、打楽器の竹舞さんとのユニット)さん、GIANT STEPS(お祭りや音楽フェスに神出鬼没する巨大傀儡(あやつり人形)集団)さんも一緒に出演する予定です。昨年はコロナで発表会はできなかったので、開催できればと思います。
芳泉さんが民謡を唄っているのを聴いたのは橋の下世界音楽祭。
初めて聴く民謡でも身近に感じる心地良さがありました。
インタビューをしていく中で、芳泉さんが豊田の各地で演奏会や盆踊りに出演していることを知り、その活動の広さに驚きました。
今後も、芳泉さんの活動をチェックし発信できたらと思います。今後の活躍も楽しみです!
Instagram
豊田のお気に入りの場所
豊田市美術館
もともと美術館に行くのが好きなので、よく行きます。
豊田美術館は散歩したり、お抹茶のみに行ったりしますね。
この間、デザインあ展も行きました。お弁当箱から顔出しましたよ。笑
取材:森井早紀(TAP magazine 編集部)
アンダーグランドな音楽と美術と映画をこよなく愛すちょっと変わった人。
橋の下世界音楽祭に衝撃を受け、豊田の街に魅力を感じ始める。
自身も作家活動を行なっており、2020年に豊田市美術館ギャラリーで自ら企画したグループ展『HELL THE TRIP』を開催。
豊田の魅力を発信しながら、何やらおもしろいことを企んでいます。