今回は山岸美紗さんからご紹介いただきました豊田市博物館のミュージアムショップ&カフェmitsubachiでショッププロデューサーを務める中本愛(なかもといつみ)さんにお話を伺いました。
絵を描くことよりキャンバスを作る方が好き
子どもの頃からとにかくものづくりが大好きで、幼稚園に通う頃には針を持ってぬいぐるみを作っていたという中本さん。ものづくりをする仕事がしたいと美大へ進学します。美大では油絵を専攻しますが、絵を描くことより、絵を描くための準備、キャンバスを作ったり、絵具を作ることの方が好きだったそうです。そして、卒業後は美術教員の道に進みます。中学校での仕事は、やりがいがあってとても楽しい反面、ハードで体調を崩してしまい辞めることに。
機織りとの出会い
その後、結婚、出産と2人の子どもに恵まれた中本さん。子育てが忙しい中、祖父母の介護も重なり行き詰まっていた頃、ご主人のお母さんから「来てみないか」と声をかけられます。そこはちょうどその頃、お義母さんが開設した“手織りひろばポースケ”。そこで中本さんは「さをり織り※」と出会います。ポースケは障がいがある人もない人も自由に機織りを楽しめる場所です。中本さんにとっては、それまで抱えていた悩みを聞いてもらえる場であり、機織りを通したポースケの活動に「人生の終着点を見つけた」ような気持ちで、のめり込んでいきます。
糸も作れる!?
手芸好きな家庭に生まれ育った中本さんのまわりには手芸道具が色々とそろっていました。そして、幼少期より針を持っていた中本さんにとって洋裁はお手の物。自分で織った布で洋服や小物を作ることができる、では「糸も作れるのでは」と思い立ち、豊田市民芸館の拳母木綿講座で糸紡ぎを学びます。そのうち糸の原料である綿の栽培にも興味を持ち、畑を借りて綿の栽培も始めます。現在では毎年、洋服上下1着分が作れるぐらいの綿、約2kgを栽培しているそうです。
突然舞い込んできたミュージアムショップの仕事
2024年4月26日、豊田市博物館がオープンしました。実はその前年の12月末頃、中本さんのもとにミュージアムショップ立ち上げの話が舞い込んできました。年明け1月中旬頃に正式決定してから博物館オープンまでは怒涛の忙しさだったそうです。まだ見ぬ展示品を想像しながら、ありとあらゆる知り合いに声をかけ協力を得ながら、グッズの準備をしたそうです。もともとミュージアムショップを見ることが好きだった中本さんは、博物館で展示を観た後の「きらきらした感動を持ちかえってもらえる」、そんなショップづくりを目指して、たくさん企画書を書いたそうです。そのなかから鉛筆セット、どんぐりのショートブレッド、缶バッチが豊田市博物館のオリジナルグッズとして誕生しました。
豊田市博物館のミュージアムショップには、中本さんが糸から紡いで織った綿、苧(カラムシ)、葛の布の古のカケラブローチも販売しています。
ここから発展していく博物館
豊田市博物館はできたばかりで、「ここから発展していく博物館」だと中本さんは言います。今後は展覧会に合わせたグッズも置きたいと、現在は縄文文化について勉強中とのこと。いろんな知識を吸収しながら日々アップグレードしていきたいそうです。そんな中本さんがこの夏に企画したのが「豊田市博物館の推し缶バッジデザインコンテスト」です。豊田市博物館を深堀りしてほしいとの思いが込められています。
今を大事に、日々を楽しむ
「私は一般主婦ですから(笑)」と茶目っ気たっぷりに話す中本さん。祖父母の介護を通して思うことは、「自分がおばあちゃんになった時に、良い人生だったなぁと思いながら死にたい」。そのために、とにかく今を楽しむ、介護も子育ても仕事もすべて楽しむ、そんな思いで日々過ごしているそうです。
衣のまちで
中本さんはcoromo cotton club の活動にも参加しています。いつか、“衣のまち豊田”の綿文化が復活して根付いていくことを目指し、無理なく楽しく長く続けていくことで文化になると信じて、仲間と綿を育てながらゆるっと活動しているそうです。
取材の日、中本さんは自分で育てた綿で糸を紡ぎ、草木で染めて、織った布で仕立てたというとても素敵な服を着てみえました。綿の種から服が仕上がるまでを想像すると、途方もない手間と時間がかかるはずです。それを楽しみながらやる、そのマニアックすぎる生き方はなかなか真似できないなあと思いながらお話を聞きました。
【豊田でのお気に入りの場所】
豊田市博物館
特にショップのカウンター越しに見る館内と窓の外に広がる景色が好きなのだそうです。ぜひ中本さんに会いに豊田市博物館へお出かけください。
取材:Kohomi(TAPmagazine編集部)
私もかつて糸紡ぎに憧れて、綿と羊毛から糸を紡いだことがあります。今回、中本さんのお話を聞いて、苧と葛から糸を紡ぐことが気になり中です。