――今回は中本愛さんからご紹介いただきました、彬田れもんさん・古場ペンチさんご夫妻のインタビューです。お2人は豊田市内外で役者やスタッフとして演劇界で活動されています。今までの経歴や今後についてお聞きしました。
まずは彬田れもんさんからお話を伺います。
れもんさんの演劇との出会い
(れもんさん)
もともと母親が演劇を好きで、子どものころからいろいろ観せてくれました。いろいろ観たなかでも、中学生の時に学校の芸術鑑賞会で観たシェイクスピアの『ヴェニスの商人』はとてもよく憶えています。演劇をやってみたいと思うきっかけの作品の一つでした。
また、『豊田市少年少女合唱団』に小学校5年生から高校3年生まで所属していました。
中学2年生の時に豊田市で行われた『杉並児童合唱団』の“合唱ミュージカル”を初めて観たときのインパクトも大きかったです。
それまで『豊田市少年少女合唱団』は合唱だけでしたが「私たちも“合唱ミュージカル”をやろう!」となって演技を始めます。最初は簡単な振り付けからスタートでしたよ。高校2年生の時には『くいしんぼうララバイ』でヒロインを演じました。
さらに、姉妹都市ダービーシャーとの交流でイギリスでの公演も経験できました。
ほかにも高校生の時には名古屋のタレント養成所にも所属していました。ダンス、日舞、モデルにラジオなどいろいろやりましたね。
高校卒業から役者になるまで
(れもんさん)
合唱をずっとやっていたので「日常で歌を歌える職業は何だろう」と考えた結果、保育士がいいかなと思い短大の保育科へ進みました。
しかし当時は今とは違い、保育士への就職が難しい時代だったので、その道は選択しませんでした。
卒業後はパートで保育士などをし、少しフラフラしていました。そんなときに友だちから『豊田市教育自主研究グループ(音楽)』に誘われて参加、そこでまた合唱ミュージカルを披露できるようになりました。
活動しているうちに今度は『劇団ドラマスタジオ(ドラスタ)』という劇団から声をかけてもらい、本格的に演劇をやることになります。ドラスタは豊田で活動する市民創作劇団で、年に2回程度公演していました。
ドラスタの10周年記念に公演した『夏の夜の夢』はとても思い出に残っています。舞台美術も凝っていて素晴らしかったし、メイクアップアーティストの方も名古屋から来ていただいて本格的にメイクをしてもらいました。
私は主要登場人物の『妖精パック』を演じたのですが、当時は浜松市で暮らしていたので稽古のたびに高速道路を使って通っていました。その後は豊田に戻り、ドラスタで活動を続けていきました。
『夏の夜の夢』で妖精パックを演じる彬田れもんさん(撮影:写舎眞)
『三河映画』と演劇スタッフへ
(れもんさん)
さらに『三河映画』が作る長編完全自主制作映画の第一弾『幸福な結末』に役者として参加しました。
完全自主制作映画ということで、すべての工程が豊田市をはじめとする三河地方で行われた作品です。撮影は約1か月間の合宿体制で、地元の方々の協力なしにはできませんでした。
その後はスタッフとして『とよたこども創造劇場*1』やシナリオを書ける人を増やそうと企画された『シナリオキッチン・プロジェクト』、『とよた短編演劇バトル(T-1)』に参加しました。
また『とよた演劇アカデミー*2』の5期生などで制作やスタッフとしての裏方の仕事をガッツリと勉強しました。
一般財団法人地域創造の『リージョナルシアターモデル事業』に参加して子供たちに演劇を教えるというのも大きな経験でした。
ここで『劇団ドラマスタジオ』を退団して再び『三河映画』へ。今度はスタッフとして『渇愛“Ben-Joe”』という摂食障害やDVなどの社会問題を描いた映画の制作にあたります。
映画は舞台の上だけでなく、関わる人と世界がとても広くなります。一つの小物を用意するのもそのシチュエーションに見合うものを探し出し、所有者に許可を取る必要があります。
多くの人の協力がなければ映画は作れないので、映画作りはまちづくり、人づくりといわれています。
『渇愛“Ben-Joe”』のクランクアップ時の写真。撮影場所は北設楽郡設楽町津具。
――今回のれもんさんは「何をやってきたか忘れちゃうから」と、時系列で経歴をまとめてきていただきました。確かに小学生のころから現在に至るまでの活動は長く、濃いと言えます。またその経歴を笑顔でさらりと語ってしまう軽やかさが可愛らしく感じました。
ここからは古場ペンチさんにお話を伺います。
ペンチさんの豊田市での活動
(ペンチさん)
僕は地元の福岡で演劇をしていました。仕事の関係で2009年に豊田市へ来ましたが、当時は豊田で演劇ができるところを知らなかったので、ちょくちょく福岡に帰って活動していました。
そんな中でも『とよた短編演劇バトル(T-1)』に参加して第1回のMVPになったり、『とよた演劇アカデミー』の7期に参加したりして、豊田でも演劇活動を本格化していきます。アカデミーの修了生を中心に結成した『劇団カレイドスコープ』に所属し活動していきました。
さらにアカデミー修了生3人で豊田の演劇を活性化させたいという思いから『とよた演劇祭』を創設しました。2016年に初回公演を行い、1年に1回公演をしてきました。2025年の今年は節目の10回目になります。
2024年 とよた演劇祭「オトナリの舞台」(撮影:松下智美)
現在は『文化活動者派遣事業』という事業で、小学校へ行き子どもたちに演劇を教えるワークショップをしています。
ほかには、自分のやりたい演劇をやるために『Pinchi番地』という演劇ユニットを主宰したり、名古屋の劇団『刈馬(カルマ)演劇設計社』に役者として所属したりしています。落語をやったりもしていますよ。
あとは、演劇というものを演者は気軽にやり、観客は気軽に観てほしいという思いから『Neaa!(ニア―!)』という演劇ユニットも立ち上げました。何もないところにドアを設置してそれを開くと1~2分の演劇がスタートするという活動をしています。
(れもんさん)
2023年のデカスプロジェクトで鞍ヶ池公園でもやったよね。
(ペンチさん)
もっといろんなところでやりたいです。
2023年 デカスプロジェクト『Neaa!のクラフト演劇体験』
2024年5月『小牧市総合公園市民四季の森バラ・アジサイまつり』にて実施した、『Neaa!のクラフト演劇体験』
――ペンチさんからは豊田市に来てからの演劇活動についてお聞きしましたが、もともとある活動に参加するだけではなく、自ら演劇祭や演劇ユニットを起こすという行動力に感服しました。ペンチさんの体に演劇が根付いていると感じました。
今後やっていきたいこと
(れもんさん)
子どもが参加する演劇に関わっていきたいです。
私は子どものころ自分が嫌いでしたが、演劇を始めて自分を肯定できるようになりました。浄化されるというか、ここにいてもいいんだという感覚がありました。そういった感覚を子どもたちにも感じてほしいし、生きていくための土台を作る手伝いをしたいです。
(ペンチさん)
僕も子どもたちに関わっていきたいと思っています。小学校でのワークショップはやりがいを感じています。
例えば食べる、寝る、働くなど生きるためのことに人生の時間を使っても、それだけでは人生は埋まらないし、つまらない。それ以外の人生の時間を何で埋めていくかは人それぞれですが、僕は演劇で埋めたい。僕にとって演劇は人生に必要なものなので、まだまだ続けていきます。
【豊田でのお気に入りの場所】
枝下緑道公園
枝下緑道の桜並木がきれいで大好きです。夫婦二人で共通のお気に入りです。豊田の演劇仲間に声をかけて、毎年春にお花見もしています。また、以前「豊田市民文化朝市」にNeaa!で参加させていただきました。
取材:のん(TAP magazine 編集部)
美術・芸術は詳しくないけど、人が作り上げた『何か』を見るのが好きです。よくまちをウロウロしています。名古屋グランパスと豊田スタジアムを愛するフツーの主婦。フットワークの軽さと重さを兼ね備える極端なタイプ。