REPORT/COLUMN
挙母ブルー|処暑(8月23日・黄経150度)
伊藤正人

 父が臙脂色のセダンに乗っていた。
 幼いころのうっすらとした記憶だから車種まではわからないけれど、豊田に住んでいたときから乗っていたとすれば70年代の車ということになる。父が三菱の初代ランサーワゴンに乗りかえた80年代後半にはじぶんの記憶も自立しはじめている。トランクだけでは収まりきらない荷物をルーフキャリアに積んで、よくキャンプに連れていってくれた。そしてさらなる積載量をもとめた父がつぎに選んだ車は、白いボディのトヨタ・マークIIワゴン(5代目X70型)だった。じぶんが中学3年のときに父は単身赴任の身となり、マークIIも父とともに仙台や長崎、京都など日本のあちこちを走っていた。
 免許を取ってじぶんでもマークIIを運転するようになると、次第にその車の虜になっていった。90年代はじめの角張ったボディ、車高は低く、車幅と全長の長さもいかつい。サイドミラーは手動。内装の皮革にはステッチが施してあって洒落ている。オーディオはカセットデッキのままだったからCDをテープに録音して聴いていた。ハンドルもアクセルもブレーキもなにもかも重たいけれど、そのおおきさは展覧会の搬入搬出に重宝したし、研究室に勤めていたころは毎日それで通勤していた。2000~10年代に乗るにはいささか時代を感じさせる車ではあったけれど、車の意匠はその時代や世相のかつての雰囲気を曳行するだけでなく、その当時の私的な風景をも形成する。夏から秋にかけて、稲の成長ぶりを低い視線で横目にしながら大学ちかくの田んぼの脇道を走るとここちよかった。
 父が車に乗るのをやめ、マークIIを手放すときめたとき、じぶんはすでに実家を出ていたからたまに借りて乗るていどだったけれど、単純に移動手段がひとつなくなっただけではない、言葉をひとつ失ったような虚しさがあった。だからいざじぶんが車を買うことになった2020年、マークIIをふたたび、とも考えた。しかし、古い車だし不具合もあるかもしれない。かといってあまり新しすぎる車には魅力を感じない。あれこれと悩むこころが車という言語性にまでおよんだ結果、選んだのはスバルのレガシィ・ツーリングワゴン(5代目BR9)だった。ワゴンタイプはこの身に染みついている。やや深みのある青いボディをのぞきこむとそこは宇宙か、茄子紺にちかい。角張ってはいないけれどハンドルの重たさはマークIIの記憶を彷彿とさせる。
 レガシィはたまに街なかでみかけることもあるけれど、マークIIのすがたをみることはもうほとんどない。ほんとうにときどき、数年に一度あるかないかくらいの頻度で、あ、まだ生きていたんだ、というぐあいに絶滅危惧種でも発見したかのように角張った白い幻影を追いかけることがある。
 その幻影の故郷でもある街を青い六連星で走っていると、マークIIに対してなのか、あるいは63年まえに飲み込まれるように変わったこの街のなまえに対してなのか、ぐにゃりと斜めに傾いていくような複雑な背徳感も否めない。

伊藤正人

1983年愛知県豊田市出生、名古屋市出身。
美術作家の活動と並行して小説やエッセイの執筆、自主発行を行う。
主な展覧会に、「小説の美術」AIN SOPH DISPATCH(2022)、「常設企画展 ポジション2014 伊藤正人 – 水性であること」名古屋市美術館(2014)など。
主な著作に、「サンルームのひとびと/note house」note house(2020)、「仲田の海」大あいちなるへそ新聞(2016)など。
作家ウェブサイトはこちら

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