REPORT/COLUMN
挙母ブルー|寒露(10月8日・黄経195度)
伊藤正人

 いま住んでいる長久手から県道60号を東に向かい、IKEAのある交差点を右に曲がってなだらかな丘陵地の道を走っているといつのまにか市境を越える。
 田籾町の交差点で県道58号の名古屋豊田線に入り、まもなく伊保川に合流する。そこから国道155号で市街に向かってもいいのだけれど、先日のナビはきまぐれに保見町で左折を指示した。伊保川流域の台地上に田んぼが広がるここちよい風景である。貝津町から浄水町へ入っていくあたりで広域図をみて、このルートはもしやと思った。そのまま市街へ向かっていく途中の平芝町4丁目でたしかこのあたりだったと左手をのぞきこむと、かつての平芝の家が一瞬みえた。
 
    *
 
 町名というものは具体的なものやかたちとしての町の実体を示しているわけではない。けれども、ときに私的な部分へそっと忍び込み、あたかもすぐそこに存在しているかのようなてざわりのある町の名は、その町の風景に関わる人間にどこか安心感を与えているようでもある。あるいは象徴的な、風景の総体としての町の名を共有し、その名前によって救われているわたしたちは名称未設定の町には住めないのである。
 おそらく文字としての言葉がなかった時代、日本語未然の言葉を話していたひとたちの時代にも、かれらの共通認識のためにも町(集落)の名はあったのだろうと想像する。何度も場所を変えたりおなじところに戻ったりしながら集落は消滅と再生を繰り返し、層をかさねていく。そこで集落の名も何度も変わっていった。人間の営みの流れのなかで残りつづけるものもあれば、きえるものもある。それがどうやら自然なことだった。
 この地域の最も古い首長の名だったとされる挙母という市名は1959年に豊田に変わった。市町村の合併や自動車工業都市という戦後日本の象徴的な側面を誇張するかのような名称の変更もまた、人間の営みの一部であり、自然なことだとして受け入れるしかない。
 
    *
 
 じぶんの住んでいる町の名が変わるということになったら、もしそれが愛着のある名であったらきっと重たいきもちになる。じぶんの育った場所や通っていた学校、なじみの店がなくなることはほとんど不可抗力であり、しかたのないことだとは思う。ただ、かつて親しんだものを捨て、その上にあらたな層を重ねて生まれ変わろうとする速度になかなかついていけないでいる。
 とはいっても変化していかなければそもそも懐古さえできないではないか、とみずからの内にわだかまる矛盾をなだめる。いまの不穏な時代に出くわして、動揺こそ変化の本質だと悟ったのはじぶんではないか。本質的には変わらないことをつづけているつもりだし、矛盾はいつだってしている。残るものときえるものを繋いでいるのが矛盾という総体だろうか。矛盾こそが変化の本質なのだろうか。
 --などと考えてきもちが挙母ブルーになりかけているうちに、車は豊田市街へ着いていた。

伊藤正人

1983年愛知県豊田市出生、名古屋市出身。
美術作家の活動と並行して小説やエッセイの執筆、自主発行を行う。
主な展覧会に、「小説の美術」AIN SOPH DISPATCH(2022)、「常設企画展 ポジション2014 伊藤正人 – 水性であること」名古屋市美術館(2014)など。
主な著作に、「サンルームのひとびと/note house」note house(2020)、「仲田の海」大あいちなるへそ新聞(2016)など。
作家ウェブサイトはこちら

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