REPORT/COLUMN
挙母ブルー|白露(9月8日・黄経165度)
伊藤正人

 数年まえに道端で摘んできたつゆくさを植木鉢で育てつづけている。夏の朝に青い花をつけ、秋には種を落として枯れてしまう一年草である。翌春には落ちた種が発芽し、夏になると花が咲き、というサイクルを繰り返す。ただ、植木鉢だとさすがに育ちが弱々しい。庭付きの家に越してつゆくさ畑をつくりたいなぁ、などと妄想して他所様の戸建ての家に羨望のまなざしをちらと送りながら住宅街を歩く。しかし、雑草といってもさいきんは自生のものをあまりみかけない。あるていど自然度の高い郊外であればそのへんに生えていると思う。
 
    *
 
 赤いランドセルを背負った少女が道端に咲いている花を摘みながら帰りみちを歩いていた。
 挙母小学校から平芝町の家まで、少女は北へ伸びていく坂道を10~15分くらいかけて上っていく。そういえばじぶんも通学路のとちゅうで変わったかたちの石ころやスーパーボール、日本酒の王冠などを拾いあつめていたことがある。彼女にとってその風景は花を摘むくらいおだやかなものだったのかもしれない。
 少女が家に帰れば母親がいて、2歳になる弟がいる。ゆるやかな傾斜地にある平屋建ての家にはいい風が通った。陽光に包まれた庭があり、傍らにはちいさな畑がある。縁側の窓にはおぼつかない足取りの弟が庭へ落ちないよう横木が渡してある。そのころの父親は仕事の帰りも早かったかもしれない。摘んできた花はコップに生けて玄関か居間のテーブルに飾ってある。
 しかし、小学1年生になってわずかひと月ばかりのうちにそこから引っ越さなければならなくなった少女の心境は想像を絶する。父親の仕事の都合とはいえ、突然目のまえの風景から引き離される現実は、少女にとっては抗いようもない理不尽なことだったろうと思う。
 引っ越し先は名古屋だった。大津通沿いに建ちならぶ集合住宅には庭も畑もない、硬質なコンクリートとアスファルトばかりである。転校先の学校はひっきりなしに車が行き交う国道41号線沿いにあり、通学路には花を摘む余白もない。そこで少女がふさぎこんでしまうのも無理はなかった。
 
    *
 
 もともと他人に対して自身のきもちを積極的に打ち明けるようなひとではないし、みずから記憶の泉にふたをしたのか、本人から当時の話を聞いたことはない。いまとなっては自身のやりたかったことをみつけて京都で暮らしている。だから、もしあのとき引っ越しもせず平芝の家に住みつづけていたら、などと考えるのは野暮である。
 昼に学校が終わり、お腹をすかせた土曜日の帰りみち、国道41号から脇道へ折れると中華料理屋から漂う香りが鼻をくすぐる。花摘みをあきらめた少女は嬉々としてそのことを母親に伝えた。そして4年ののち、小学校に上がった少女の弟もその中華料理屋の香りを知った。

伊藤正人

1983年愛知県豊田市出生、名古屋市出身。
美術作家の活動と並行して小説やエッセイの執筆、自主発行を行う。
主な展覧会に、「小説の美術」AIN SOPH DISPATCH(2022)、「常設企画展 ポジション2014 伊藤正人 – 水性であること」名古屋市美術館(2014)など。
主な著作に、「サンルームのひとびと/note house」note house(2020)、「仲田の海」大あいちなるへそ新聞(2016)など。
作家ウェブサイトはこちら

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