名鉄三河線の高架をくぐり抜けたところの陣中町のその一角にもちろん見覚えはなかったのだけれど、間伸びするような空気の音がぼんやりと響いていく風景に見知らぬ懐かしみがあった。駐車場に隣接している文化財倉庫の建物はかつて図書館だったというから、もしかしたら36年ほどまえに母に連れられてそこを訪ねたことがあったかもしれない、という妄想ばかりがあいかわらず先行する。交差点で信号待ちをしていると斜向かいにある駄菓子屋に目がとまった。なんともなしに後ろ髪を引かれつつ、駄菓子屋を背にして郷土資料館へ向かった。
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55年分の光と雨風を受けた郷土資料館の外壁はやや黒ずんでいるものの、しっとりした時間の厚みを予感させる。敷地内に移築されている茅葺きの民家やちいさな古墳もまた、ものしずかである。
館内の展示物のなかで伊保郷の印や平城宮跡から出土した賀茂の瓦など、文字がみとめられる遺物に興奮しながら常設展をひととおり観てまわったあと、閲覧コーナーで新修豊田市史「通史編」をぱらぱらとひらいた。1巻「原始」からはじまり、2巻「古代~中世」、3巻「近世」、4巻「近代」、5巻「現代」へとつづく。各巻だいたい600~700ページほどある。5巻に記載された挙母から豊田への移り変わりをあらためて確認して、これでたぶんいけるだろうという青々しい予感を胸におそるおそる受付へ向かった。
通史編を購入したいのですが、と受付の窓口にいる学芸員らしき男性に頼んだ。おそらく個人で市史を購入するというパターンはあまりないのだと思う。男性はやや面食らったようすで棚や倉庫に眠っているはずの在庫を探しはじめた。どうやらみつからない巻があったようで、別の学芸員の女性も応援に駆けつけてふたりがかりで1巻から5巻までを発掘してくれた。あらかじめ本屋で注文すれば話は早いのだろうけれど、移転するまえに、閉館してしまうまえの郷土資料館で直接買いたかったのである。
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言葉の重量をひしと感じさせる厚みはとても数ヶ月やそこらで読みきれるものではないとあきらめつつ、旧石器時代から縄文、弥生、古墳まではなんとか読破した。歴史的な人物があらわれるわけでもなく文字としての史料もない時代だから、出土した土器や遺構と土地の関係性からその時代の風景が推し量られていく。
飛鳥以降、奈良、平安に入ると素人にはかなり難しい。明確に人物があらわれ、主従関係や制度がうまれ、中央と地方という差もうまれる。それだけのことを示す史料も出てくる。つまりそのときから文字という言葉の重量にひとは捕捉される。歴史の授業は好きだったけれど、そのていどの浅さでは市史の重みを受けとめきれない。鎌倉、室町をさまよいながら、そのさきの戦国、江戸のことを思うとぞっとする。明治、大正、昭和はほど遠い。平成などたどりつける気がしない。それでも、きまぐれに拾い読みをしていると郷土資料館でみた展示物の風景がときおりふっとよみがえってくる。
そしてもっとも気にかかっていた、この地域が『いつまで挙母だったのか』はたしかに記されているけれど『いつから挙母だったのか』は判然としない。じぶんたちのあつかう言語が『いつから日本語になったのか』を推し量ろうとすることと同様に、その起源をたどることは真っ青に染まった泉へ手をさしいれるかのような、底知れぬ歴史の深みに溺れていくようなものである。滔々と湧きつづける水の厚みにふれ、いくつもの層から汲み出される言語は繰り返し推敲され、歴史というものになっていく。
重々しく市史を閉じ、せめてじぶんにできることは見知らぬ故郷を思いながら天地と小口をロイヤルブルーで塗ることくらいである。過去へ傾くことはもどかしく、やるせない。豊田市史の層は挙母ブルーとなって発光し、そのうちにすこしずつ、時間をかけて色褪せていく。
1983年愛知県豊田市出生、名古屋市出身。
美術作家の活動と並行して小説やエッセイの執筆、自主発行を行う。
主な展覧会に、「小説の美術」AIN SOPH DISPATCH(2022)、「常設企画展 ポジション2014 伊藤正人 – 水性であること」名古屋市美術館(2014)など。
主な著作に、「サンルームのひとびと/note house」note house(2020)、「仲田の海」大あいちなるへそ新聞(2016)など。
作家ウェブサイトはこちら
※《挙母ブルー》は、「とよたまちなか芸術祭2022」との連携企画です。全7回の連載を予定しています。
第1回 挙母ブルー|立秋(8月7日・黄経135度)
第2回 挙母ブルー|処暑(8月23日・黄経150度)
第3回 挙母ブルー|白露(9月8日・黄経165度)
第4回 挙母ブルー|秋分(9月23日・黄経180度)
第5回 挙母ブルー|寒露(10月8日・黄経195度)
第7回 挙母ブルー|立冬(11月7日・黄経225度)